今回の馬場跡巡りの地は湯島1丁目、JRお茶の水駅のすぐそばです。

 

駅前の交番横には「駿河台」の歴史についての説明板があるのですが、そこに記載された切絵図(安政3年(1856))には、
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と「桜の馬場」が神田川の北側に書かれています。
(もう少し後で作られた尾張屋版切絵図万延2年(1861)改訂版には馬場はなく、「江川太郎左エ門掛鉄砲鋳場」となっています。)


お茶の水橋を渡った先の東京医科歯科大学が建っている付近に桜の馬場はにありました。

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西側から見た東京医科歯科大学方向

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初音馬場には神社が建っていましたが、ここ、桜の馬場にもかっては神社が建っていました。
現在は遷座して、大岡越前守が大火対策のため3丁目から江戸城にかけての家は塗屋・土蔵造りを奨励し屋根は茅葺を禁じ瓦で葺くことを許されたことから、

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”本郷もかねやすまでは江戸のうち”と川柳にも歌われた「かねやす」のあった本郷3丁目交差点から春日通りを少し西に進んだ所(本郷4-3-1)にあります。

櫻木神社
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櫻木神社縁起略記の碑には、
文明年間(1469-1487)太田道灌江戸築城の際菅原道真の神霊を京都北野の祠より同城内に勧請せられたものを、その後桜の馬場の地に建立。その後元禄3年(1690)徳川綱吉が同所に昌平校設立するのにあたり富元山真光寺境内の現社地に遷座したと書かれています。

 

境内では、櫻木神社にふさわしく、桜が咲いていました。
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